ドクターミエンのページ
ミエン医師らの立ち上げた
病院の手術室にて
ダナン病院での
循環器講義風景
ミエン医師が命名して手作りされたNPO歓迎の幕 我々が日本に招請した医師たちで
作った病院


ドクターミエンは小柄でハンサムな外科医である。外国語を習得する才能があり、絵画・詩を楽しむ。ベトナム戦争の時、兄弟はすべてヨーロッパに避難したが、単身戦火のベトナムに残り、患者たちを守った。政治権力に流されない自立の士でもある。
伊藤病院に招待され、早期癌の内視鏡的治療の実際を研究する為、大阪・北野病院へ通った。
関空から山を越え和歌山の田舎にある伊藤病院に到着された時、随分興奮されていた。しばらく休憩していただくと、病院から見える伏原の村の絵をスケッチされた。とても素人の画ではない。

来日された翌日から バス、JRローカル線、私鉄、地下鉄などを 乗り継ぎ、乗り継ぎの研修通院が始まった。当時息子は小学一年生で、毎日付き添い、切符の買い方、標識をさがしながらの乗り継ぎ、大病院の中での通訳に活躍した。その時は二名のベトナム人医師が来日研修した。息子は「若いドクターより、年長のミエン先生の方が覚えが早い」と評した。
たまの休日には近くの高野山に登った。春なのに一本紅葉したもみじの木を見つけ、皆で感激した。「紅いもみじを見たら、必ずもう一度 美しいこの地に戻って来られる」という言い伝えを誰かに聞いたのである。
もちろん伊藤病院の暖かい歓迎と、田舎風景を気に入っていたミエン先生が、一番感激していた。
その時、もみじの一葉がハラハラと風に散った。

裏を見せ  表を見せて  散るもみじ  

         ― 良寛・辞世の句 ―  

を想い出し、日本語と英語でお教えした。

ドクターミエンより 句の持つ意味を尋ねられ、「ミエン先生の様な一生を振り返って、今わの際に 詠んだんですよ。」と説明すると、深く納得された。

何年か経ち、ダナン政府が 我々の提案を受け入れ、人道的独立採算病院の立ち上げに、免税措置を決定した。ミエン先生は、我々が日本へ招請した医師達と共に、ダナンに病院を作った。そして丁度訪越した私と再会の宴を持った時、あの日 高野山から ベトナムへ持ち帰った紅いもみじを手に、 

− 裏を見せ、表を見せて 散るもみじ ― 

とはっきりした日本語で詠まれた。

旧友に再会する喜びが 倍加するひととき、お互いの変わらぬ信頼を、確認し合ったのでした。