ベトナムの白い鳥

1994年、始めてダナン市を訪れた時、私達はダナン郊外クワンナム省との境で、溢れる貧困者達の病と格闘していた。
大多数の患者は、低栄養や劣悪な住環境による寄生虫で、貧血がベースになっていた。
貧血と戦争トラウマによる不眠症の上に、枯葉剤(ベトナム戦で米軍が使用)禍の内臓及び外奇形・悪性疾患、過重労働による筋肉・関節の疾患、などなど、多彩な病状を呈していた。
'97ダナン病院循環器講座 人民委員会へも診察着のままでー
しかし、それらの疾患の基礎になっている貧血・低栄養・“おびえ”は、医療努力の限界を越え、低栄養児へのミルクと油の配給、枯葉剤で汚染されていない井戸の掘削、枯葉剤で 日本の十倍の率で発生している先天性心疾患児童への心臓手術、などなど、とりあえず目の前にいる患者たちの救済に奔走する日々であった。
'94,貧困者診療所で重度のファロー四徴症児診察 '94ピースヴィレッジ診察 重症ファロー四徴症
アメリカによる経済制裁が その時既に19年間続いていた為、政府の役人達も極度の貧困を耐えている時代で、政府に 子供や医療への予算の無心など 外部の者が言える立場ではなかった。社会主義国も資本主義国も、必要に応じて飛び回った カンソン医師は、独立採算医療を始めて、経済システムを学ぶ必要性も感じたのか、長男を留学させ、その方面の勉強を応援している。
働いても 働いても、瀕死の患者は大地から湧き出て来るかに 思われ、汗でぐっしょり 濡れた診察着のまま診療所を後にして、市街地に戻って来ると、自分の意識も朦朧としていた。
そんな時 隣の席に 同じくぐったりして座っていた通訳ボランティアの青年 ダッ が、奇声を上げた。

「見て!ドクターMAYA  何て 美しいんだろう!」

我々の車の前方を 白鳥の群れが飛んでいる・・・。

暑いベトナムに白鳥???
それも数え切れない数の 白い鳥が どんどん、どんどん 溢れて来て、戦災で煤けた街路を 覆い尽している ― 。
診療疲れの極限で、ボーとした目をこすり、意識を覚醒させんと 試みた。
白く 大きな羽根を羽ばたいて 三々五々、群れて飛んでいるのは、自転車に乗った白い高校生達だった。
民族衣装のアオザイのすそを ひるがえして走る彼女達の群れは、清純で軽やかで、現実の 戦禍の爪跡が痛々しく、ストリートチルドレンで埋められた街に 舞い降りた、鶴の群れ そのものだった。

ベトナム戦争中、ボートピープルとしてタイの難民キャンプで思春期を過し、渡米して事故により片足が不自由になり、当時 遅い独身生活を送っていた ダッ の疲れた顔が 一気に輝いた。
そして五年後、彼は 白いアオザイの良く似合う、経済事情で年令より遅れて高校生活を送っていた美しいベトナム女性と 結ばれた。
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いつか、彼女達と 再会する日が 来るのかしら・・・と思っていた私は、16年目にして ベトナムの白い高校生の園に、降り立つ事となった。
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街の復興も、医療情況の改善も、目覚ましく進むベトナムで、白い高校生達は、今も希望と発展の象徴として、軽やかに 舞い続けている。


日・越 教育交流への支援活動を開始した NPOドクターMAYAファンドは、まずダナン市の高校・中学にその第一歩を踏み出しました。
2009