救急車を寄贈した眼科病院は貧困層患者で溢れている

我々が寄贈した救急車の前で当時の苦労談義

孤児院の運営会議
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ワンパク大食漢
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私へのプレゼントは何かなー

大勢の食事は楽しい
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小さい頃から食料の自給法を覚えて生き抜く
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この子供達が未来の日越友好の橋になる
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少女の夢よ大きく羽ばたけ
 

ベトナムに到着して3度目の朝です。現地時間4:30日本時間6:30にきちんと目覚め、浴槽に現地式小さな湯沸し器から少しづつ温湯だけ溜めて行く気の長い作業から始めます。二日間はボランティア訪問と長距離移動の疲労で、こういう「日常」を抜かしてしまいました。やはり良くありません。日常的な儀式が自分の健康を保っている事を感じながら温湯の中で至福の時を過し、冷えない様に身支度をし、昨夜初めて出会ったベトナム蚊が一夜の夢を破らなかった事に感謝しました。そうです。現地活動が蚊との戦いであった時代がいつの間にか終り、今回は蚊取り線香持参を忘れているのです。

そして、私の中であっという間に時が過ぎ去った様に、現地ボランティアも世代交代が進み、二世三世が活躍し始めました。私の役割も急速に変化し、今回は一人の現地ボランティアの中の重病人を診察し指導する事と支援中の病院との会議以外は、殆ど楽しい親善大使です。但し頭の隅には日本の癌患者さんに彼女の作った「しじみ貝の鈴」がベトナム孤児たちにどんなに喜ばれているかを映像に残して持ち帰る「お仕事」は忘れていません。高齢になり病に伏せっている日本側ボランティアの為に、彼と一緒に苦労してベトナムでは持ち込み禁止の右ハンドル救急車を現地政府迄動かして寄贈する事に成功した、日本文字とNPOシールを付けたまま10年の歳月を走り続けている写真もしっかり記録した。現地の老齢ボランティアが依然健康で活躍中である事を報告し、少しでも元気になってもらいましょう。

それにしてもベトナム料理は本当にヘルシーでおいしいのです。 すべての食材が新鮮で種類が豊富、毎回新しいメニューに出会います。 昨日の眼科病院主催の晩餐の中で全員をうならせたのが、コイでもなくタイでもない白身の美しい川魚を机上の焼き皿でおいしく味付けしたスープタレで蒸し焼きし、様々な香草と一緒にライスペーパーにくるんで食べる料理です。これらを別々に食べるよりも、極上の薄い薄いライスペーパーにくるむ事によってえも言われぬ風味豊かな一品になるのです。そしてこの料理は毎回行く場所場所で魚とタレが変わっています。地元で捕れたての魚が大きな焼き皿に乗せられ香ばしいタレと一緒に出てくる様は壮観です。

食事と言えば今回は始めて孤児院で子供たちと一緒に昼食をいただきました。大家族の様な雰囲気で一緒においしい手製のミクワンヌードゥルを食べると、ホッとして思わず外国に居る事を忘れます。 英越語通訳ボランティアのフォンさんに日本語で話しかけてしまい、同行の若い沖縄出身カメラマンと三人爆笑でした。 そんな我々を愛らしい子供達がニコニコ眺めながら、何と4杯目の「おかわり」をしています。 皆元気でよく食べ、よく笑い、よく歌います。 食事が済むとすぐにニワトリと豚に残り物を上げ、庭で作っているバナナを収穫してくれました。 野菜は海辺のやせた土地なのに工夫して全部自家製です。 装飾品をとても上手に作って見学者に購入してもらい、院の家計をほんの少し助けています。

思春期の男の子の中には、とてもはにかみ屋と びっくりするほど人なつこい少年がいます。 昨年、ベトナム戦争中米軍が使った「枯葉剤」の中毒が因の病気で母を亡くした16歳の少年が ずーと 私について回っていました。

 写真の上で手の形になる所はクリックすると、拡大します。

ドクターミエンが立ち上げた病院は経営も順調

独立採算病院は経済発展の中での中流層患者が多い

孤児院では前回訪問の写真に興味津々
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子供は群れて遊ぶのが好き

子供は子供らしく

経済成長の中で、食用だった犬がペットになって・・

子供達が飼育している豚小屋は本当に清潔

仲良しはにかみやさん達
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僕は元気印